「川根さわやか有志会」は踊りを通じて、お年寄りの生きがい作りや認知症予防、交流を深めることを目的として活動を続けています。それまで踊りを練習していたグループを基に、27年前の1995年に発足した団体です。呼びかけ人になったのは現在も有志会で踊りの指導を続ける小長谷しげさん。

この記事はインタビューで有志会の27年の活動を振り返り、小長谷さんが踊りを始めたきっかけ、忘れられないエピソードを語ってもらった内容を基に編集したものです。

写真右は感染症の影響で内容を変更する前のパンフレット。コロナ禍でなくても毎回、直前まで何度も修正や変更を繰り返すそう。

「老後の生きがいなくて不安」定年から始めた踊りの活動、地域に広がる

小長谷さんが団体を作ったのは、亡くなった両親がきっかけでした。両親が老後、楽しみもなく苦労を重ねたまま人生を終えたことを目の当たりにした小長谷さん。自分の老後や地元のお年寄りの生きがいに不安を感じたそうです。「両親のように老後に生きがいや目標がないまま、亡くなる人が川根にもいるかもしれない。私なりにできることはないだろうか」

27年前に川根さわやか有志会を立ち上げ、現在も踊りの指導や代表を務める小長谷しげさん

60歳の定年を目前に全くの未経験から踊りの練習を始めました。踊りや太鼓の指導を受けるために静岡や清水に足を運び、習った踊りを地元の知り合いに伝えていったのが始まり。イラストや図に起こして初めての人にも分かりやすいようにと工夫しました。小長谷さんの活動を聞いた地元の西向老人会や北部老人会から指導の依頼が来た事もあったそうです。

指導を初めて3年。95年に有志会を立ち上げ、第1回目の発表会をチャリム21で開催しました。当時は小さな活動で、地元にもほとんど知られていなかったそうです。それでも月に2回のペースで練習を続け、年1回の発表会を開き続けていくと会員も徐々に増えていきました。会員数は2003年ごろで100人を超え、一番多いときで120人にまで増えたそうです。06年に静岡県で開催された「ねんりんピック」に出場。08年の旧川根町の閉町の式典では地域への貢献を認められ、表彰を受けたことも。今年4月、有志会が主催する「高齢者手作り演芸お楽しみ会」は27回目を開催するにいたりました。

1995年に開催された第1回目の演芸会のパンフレット。当時は演芸会の名前も別のものだった。

27年間でメンバーも減って高齢に。「舞台の思い出お土産にできた」

27年の年月のなかで会員も年を取っていき、中には亡くなるメンバーも。2022年現在は37名ほどでの活動に落ち着いています。体の不調や痛みを訴える会員もいるので、練習も無理がないプログラムへ改良を加えてきました。動き回らなくても座ったままでもできるような振り付けを工夫して、メンバーが踊りを続けられるようにと。

メンバーからは「初めて習った踊りで、初めての舞台に立たせてもらったのは夢のようだった。今でも忘れられない」と演芸会の体験を語るメッセージもあるそうです。仲間との思い出を振り返る小長谷さん。「亡くなったメンバーたちにお土産を持たせてあげられたかな」

這って舞台に上がる仲間の姿。願い叶えるために演芸会続ける

小長谷さん自体も踊りの経験は定年目前から。経験が浅いことで苦労や批判もあった言います。「歳を重ねると寂しさを感じる。いつまでこうして生きていくのか、と一人のときに思うこともある。こんな考えはだめだと活動に打ち込むが、これは年齢を重ねないとわからない感覚かもしれない」一人では心が折れそうなことも何度もありましたが、支えになったのは週2回の踊りの練習へ送迎してくれた家族の理解と、踊りの仲間の存在。「踊りの先生と生徒という立場ではなく、練習の合間も気さくにおしゃべりできる仲間」。同じ目線で発表会という目標を持って踊りの練習に取り組めることが、メンバーにとっても小長谷さんにとっても長続きの秘訣であるようです。

なによりも小長谷さんの背中を押すのは、高齢になっても演芸会のために練習に打ち込む仲間の姿。演芸会の過去最高齢参加者はなんと100歳。他のメンバーも年齢で体の自由が効かない人ばかり。「足腰が弱くなったメンバーが階段に手をついて、這うようにして舞台に登る姿を見て心を打たれた」と語る小長谷さん。体が衰えても舞台に上がりたいという心は衰えていない。それを叶えてあげたいという思いが活力になっています。

2022年4月に開かれた第27回高齢者手作り演芸お楽しみ会。外部の団体も参加し、最後はさわやか有志会の会員が舞台に登る。

川根さわやか有志会へのお問合せ先

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